第5回公演 曲目について(文:伴野涼介)

シャルル・ケクラン/「あるクラリネット吹きの打ち明け話」op.141 より 第11曲 〈集合のファンファーレ〉

Charles-Louis-Eugène Koechlin/"Les confidances d'un joueur de clarinette" No,11〈Fanfare d'appel〉

 

 シャルル・ルイ・ウジューヌ・ケクラン(1867-1950)という名前は、もしかしたら「ホルンソナタ op.70」やホルンのための小品でご存じのかたもいらっしゃるかもしれませんが、現代ではあまり有名な 作曲家ではなさそうですし、友人のダリウス・ミヨーらが積極的にケクランの音楽を紹介していたそうで すが、当時も作曲家としては知名度が低かったようです。ケクランはパリ音楽院でジュール・マスネやガ ブリエル・フォーレらに作曲を師事し、フォーレの劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」のオーケストレーションを担当しています(管弦楽組曲ではフォーレが手を入れたようです)。また教師としてはフランシス・プーランクらを育てています。

 さて、この「あるクラリネット吹きの打ち明け話」は1934 年にケクランがフランスのエミーユ・エルクマンとアレクサンドル・シャトリアンのコンビによる同名の小説をもとにした映画のための脚本を書き、その音楽として作曲したもので・・・実際は映画は制作されなかったそうですが・・・、クラリネットと ホルンのデュエット6曲のほか室内楽やオーケストラなどさまざまな編成の18の小曲で構成されていま す。第11 曲〈集合のファンファーレ〉は唯一ホルン4 本によるもので、ヴァルブ(ピストン)付きのホ ルンのために書いたのであろう楽譜は in F ですが、フランスの狩猟ホルン(D 管)のファンファーレを模した曲らしくほぼ D 管の自然倍音で演奏可能です。ならばやってみよう!、ということでやってみます。ちなみに第 4、7、13曲は無伴奏のホルン独奏曲です。こちらも要チェック。

①下田 ②伴野 ③大野 ④藤田

[楽譜:Gérard Billaudot Editeur]

 

フレデリク・デュヴェルノワ/三重奏曲 (「ホルンのためのメソード」より)

Frédéric-Nicolas Duvernoy / Trios from "Méthode pour le cor"

1. Polónaise, Allegretto 2. Adagio 3.Adagio - Allegro 4. Thema con Variazioni, Andante

 

 フレデリク・ニコラ・デュヴェルノワ(1767-1838)はフランスのモンベリアル生まれの名ホルン奏者で、独学で学んだのち1788年にパリへと移ります。パリではパリ・イタリア座(のちにロッシーニが音楽監督となる歌劇場)のホルン奏者に就任し、1790年に国民衛兵オーケストラ、1797年にパリ・オ ペラ座のホルン奏者に就任しました。1801年にはオーケストラを辞めソリストとして活動したそうです。 また、1795年にパリ音楽院が設立されるとアントワーヌ・ブシュ、ヨハン・ヨーゼフ・ケン、ハインリ ッヒ・ドムニッヒらとともにホルン科の教授に就任し、1815 年まで務めました(1816 年に後任として教授に就任したのはルイ=フランソワ・ドープラでした)。

 デュヴェルノワは作曲家として主にホルンのための作品を残していますが、12のホルン協奏曲をはじめ、ピアノ、ハープなどさまざまな楽器とホルンの組み合わせの作品を数多く書き、1802年に「ホルンのためのメソード」を出版しています。当時のホルン奏者は上吹き(Cor Alto)と下吹き(Cor Basso)と明確に分けられていましたが、デュヴェルノワは中間的な Cor Mixteのスタイルをとり、このメソー ドもそれに沿って書かれています。今回演奏する「三重奏曲」はこのメソードの最後に収められていて、 メソードの総仕上げ!的に書いたのでしょうか、各パートともほどよい難しさがあり、各曲としてもシンプルな面白さもあり、隠れた佳曲といえそうです。 管の指定なし。F管を採用。

①大野 ②大森 ③藤田

[楽譜:Edition Natural Horn Ensemble Tokyo]

 

ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (ツェルナー補筆完成版)/オーボエ、3本のホルンとファゴットのための五重奏曲 変ホ長調 WoO 208

Ludwig van Beethoven (completion : Leopld Alexander Zellner) / Quintet for Oboe, 3 Horns and Bassoon. E flat-Major, WoO 208

1. (Allegro) 2. Adagio, mesto 3. Minuetto, Allegretto

 

 ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770-1827)という作曲家についてはもはや説明不要かと思うので、それは置いておいて・・・この五重奏曲は1792年(もしかしたら1793年?)、ベートーヴェンがボンからウィーンに移るころに書かれたもので、珍しい編成が設定されています。もしかしたらボンの宮廷楽団の同僚だったホルン奏者のニコラウス・ジムロック(のちに楽譜出版で有名)や、その弟のハインリヒ・ジムロックらの影響もあったかもしれませんね。そういえば、ジムロック兄弟はベートーヴェンの「2本のホルンと弦楽のための六重奏曲 op.81b」を初演しています(訂正!:これは真偽が確かでなく、筆者の勘違いだと思われます。すいませんです)。名手が身近にいるとその楽器への作曲のモチベーションになる、というところでしょうか。

 じつはこの五重奏曲は未完で、ベートーヴェンによる自筆譜が一部しか・・・第1楽章の途中からと第2楽章全部、そして第3 楽章冒頭の数小節・・・残っておらず、ベートーヴェンの死後、レオポルト・アレキサンダー・ツェルナー(1823-1894)が欠けた部分を補筆して演奏可能な体裁が整ったものとなっています。初演されたのはウィーンで1862年になってからだったようです。

 さて、第1楽章はソナタ形式になっていて、冒頭から再現部手前の157小節目まではツェルナーによる部分ですが、楽譜を見てみるとホルンのパートはどうやらヴァルブホルンを想定して書いているようです。1st、2ndホルンはまあまあなんとかなるものの、3rdホルンはちょっと無理がある...ということで ナチュラルホルンで演奏する場合はほどよく無理はしつつ、演奏者が楽譜に少し手を加えることもあるようです。158小節目以降のベートーヴェンが書いた部分はもちろんそのままナチュラルホルンで問題なく演奏できますので、ナチュラルホルンによる演奏だとどこからがベートーヴェンの書いた部分になったかが聴いていてわかる?かもしれませんし、わからないかもしれません。

 第2楽章はまるっとベートーヴェンのオリジナル。これだけでも名曲です。メヌエットの第3楽章は 冒頭から19小節目までがベートーヴェンによるもので、残りは補筆部分。中間部もなく急に終わった感じがするのはご愛嬌。ベートーヴェンの構想としては第4楽章まであったのだと思いますが、完成させていたらどんな曲になっていたのでしょうね。

 全体的に先に挙げた六重奏曲でのホルンの扱い方に通じるところが感じられますし、のちの交響曲第3番(ホルン3本)や、「フィデリオ」のレオノーレのアリアでも見られるホルン3 本とファゴットの組み合わせを予感させるところもあるかもしれませんね。

 この曲はヴィリー・ヘス氏によるベートーヴェンの未完作品の整理番号でHess19 とされていましたが、ヘンレ社のベートーヴェン新全集からWoO(Werke ohne Opuszahl)208という整理番号がつけられています。日本語にすると「作品番号なしの作品208」となり、変な感じです。

 ホルンは3パートともE♭管の指定。

Ob. 三宮 Hr. ①大森 ②下田 ③塚田 Fg. 河府

[楽譜:Edition Schott]

 

アゴスティーノ・ベッローリ/四重奏曲 第1番

Agostino Belloli/2. Hornquartet

1. Allegro 2.Adagio 3. Minuetto, vivace 4. Allegretto

 

 アゴスティーノ・ベッローリ(1778-1839)の名前は管楽アンサンブル作品やホルンのエチュードで 名前をまれに見るだけで、ほとんど知られていないようですし、その生涯も詳しくは明らかになっていません。ミラノ・スカラ座の第1ホルン奏者とミラノ音楽院の教授を務める兄のルイージ・ベッローリ(1770-1817)が急死したのちにそれらの職をアゴスティーノが継いでいます。それから、ルイージともう1 人の兄ジュゼッペ・ベッローリ(1775-?)もホルン奏者で、ルイージの息子ジョヴァンニとジャ コモもまたホルン奏者だったようです。ホルンファミリーですね。

 1800年ころのホルンアンサンブル曲というと二重奏曲や三重奏曲が大多数で、本格的な四重奏曲は少数でした。その中でアゴスティーノの書いた2曲の四重奏曲と小四重奏曲はこの時代のホルン四重奏曲の貴重なレパートリーになるでしょう。

 この「ホルン四重奏曲第1 番」は、各パートに見せ場がある「四重奏曲第2番」(ナチュホ東京のCD 「re-Discovery」に収録)に比べると旋律のほとんどが1stのパートが担当していて、「テクニックを存分に見せつける1st とお付きの3人による四重奏曲」といった様相もあります。しかしモーツァルトのオペラのアリアのような古典の雰囲気や、ロマン派の歌曲のような要素なども見られ、噛めば噛むほど味の出てくる曲である気がします。

管の指定なし。E♭(変ホ調)管を採用。

①下田  ②大森  ③塚田 ④ 伴野

[楽譜:Robert Ostermeyer Musikedition, ROM38]

 

ベルンハルト・クロル/バースラー・ロマンツェ op.114

Bernhard Krol /Basler Romanze op.114

 

 ドイツの作曲家ベルンハルト・クロル(1920-2013)はベルリンに生まれ、ギムナジウム(ドイツの中等教育機関。日本の中学・高校みたいな)でホルンを吹き始めました。11 歳ころから作曲を始め、ウィーンでアーノルト・シェーンベルクの弟子のヨーゼフ・ルーファーに作曲を、ホルンをゴットフリート・フォン・フライベルクに師事しました(フライベルクはウィーンフィルのホルン奏者で、リヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第2番を初演したことで有名ですね)。ベルリンとウィーンで学んだのち、プロのホルン奏者としてベルリン州立歌劇場、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団に在籍した経歴を持ちます。

 クロルの作品の大部分は教会音楽で、そのほかに合唱曲、管弦楽曲や室内楽曲も多く書いています。ルーファーからは12音技法も学んだもののそちらに傾倒することなく、パウル・ヒンデミットらのような 調体系で作品を書いています。

「バースラー・ロマンツェ」は4本のナチュラルホルンのために書かれ、それぞれのパートには違う調の管が設定されています。同様のテーマが違う管長で順に奏されることでそれぞれの音色の対比がよくわかるか、細かすぎて伝わらないかは定かではないですが、各パートのストップ音とオープン音の渾然一体とした響きはそこはかとなく「秩序」と「混沌」を表現しているかのようです。

 タイトルにある「バースラー」とは「バーゼルの」という意味で、この曲は “Naturhorn Connection” (トーマス・ミューラー、クロード・モーリー、ロウェル・グリアー、ユェルク・アッレマン)により1990年にスイスのバーゼルで初演されました。この曲は第1回コンサートでも取り上げましたし、CD〈re-Discovery〉にも収録されています。久々の実演はメンバー・パートの入れ替えもあり、また違う「バースラー・ロマンツェ」になりそうです。

 そして、この曲をやることになったあとで判明したほんとうに偶然なことなのですが、本日4月17日 はクロルさんの没後10年の命日です。

①F 大森 ②E♭ 大野 ③D 塚田 ④B♭-basso 藤田

[楽譜:Bote & Bock(Boosey & Howkes)]

 

アントン・ライヒャ(ドープラ編)/ 12の三重奏曲 op.93 より 第1集(第1~6曲)

Anton Reicha (arr. : L.-F. Dauprat) /12 Trios for 3 Horns, op.93, Vol.1(nos. 1- 6)

1.Allegro moderato 2. Lento 3. Allegro vivo e scherzando 4. Andante poco Allegro "Canon à L'Octave sur un thême d'Haydn" 5.Allegro moderato 6. Allegro Scherzando e staccato

 

 日本ではドイツ語でのアントン・ライヒャ(1770-1836)という呼び方に名染みがあるかもしれませんが、生まれのチェコ名でアントニーン・レイハ Antonín Rejcha、帰化したフランス名でアントワーヌ・ レイシャ Antoine Reicha と表記されることもあります。

 ライヒャはプラハのパン職人の家に生まれますが間もなく父親が亡くなり、10 歳のときに母親の教育への無興味から家を飛び出す!と、ドイツでチェロ奏者・作曲家として活動していた叔父のヨーゼフ・ラ イヒャ(1752-1795)にひき取られます。ヨーゼフ夫妻の養子として音楽と語学の教育を受けたライヒャは1785 年にボンに移り、ケルン選帝侯マクシミリアン・フランシスの宮廷楽団のヴァイオリンとフルー トの奏者となります。そこで出会ったのが同い年のヴィオラ奏者、ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770-1827)でした。ボン大学でのご学友でもあらせられました。

 ライヒャはフランス革命軍のボン占領によって宮廷楽団が解散されたのち、ハンブルクやウィーンを経 て1808年にパリに移り、1817年からパリ音楽院の作曲科の教授となります。1829年にはフランスに 帰化しました。フランツ・リストやエクトル・ベルリオーズ、セザール・フランクらが彼のもとで学び、 和声や作曲理論の著書も広く普及したところを見ると、音楽史的に重要な人物といえますね。

 前回の第4回コンサートまでで有名な方の「24の三重奏曲 op.82」は全曲制覇!完結しましたが、今 回はほとんど知られていない方の「12の三重奏曲 op.93」の前半6曲を取り上げます。この曲はもともと「ホルン2 本とチェロのための12の三重奏曲 op.93」がオリジナルですが、ライヒャと交友の深かっ たパリ音楽院ホルン科の教授ルイ=フランソワ・ドープラ(おそらくこの曲はドープラのために書かれた) がチェロパートをホルンでも演奏できるように手を加えて編曲したものです。まあ、それでもかなり無理はさせていますが、ドープラの無茶ぶりにはこれまでやってきた「四重奏曲」「三重奏曲」や前回の「大六重奏曲」などでそこそこ耐性がついてきているでしょうか・・・。この曲も全12曲制覇したら、将来的にオリジナルでの演奏も企てたいところです。

 第4曲はオリジナルでは「スペインのフォリア」でしたが、チェロパートはどうにもホルンでは演奏しにくいと判断したのか、ライヒャの同意のもとドープラが作曲した「ハイドンの主題によるオクターブのカノン」に差し替えられています。テーマはドイツの国歌にもなっているハイドンの弦楽四重奏曲第 77 番「皇帝」の第2楽章のそれです。

 

 さて、突然ですが問題です。第5曲で2nd ホルンはずーっと同じことを繰り返していますが、何回繰り返しているでしょうか?

 3パートともE♭管の指定。第4曲のみ1st. G管、2nd.と3rd.がD管の指定。ちなみに第6曲の3rd は B♭-basso でもよしとされていますが、もはやなにをやっているのか自分でもわからないので E♭管 のままです。

① 大野 ② 藤田 ③ 伴野

[楽譜:Robert Ostermeyer Musikedition, ROM132]