アゴスティーノ・ベッローリ/小四重奏曲
Agostino Belloli/Piccolo quartetto
アゴスティーノ・ベッローリ(1778-1839)は19世紀前半にミラノ・スカラ座で第1ホルン奏者を務めていた人物です。兄のルイージ・ベッローリ(1770-1817)もミラノ・スカラ座に在籍した有名なホルン奏者で、兄弟そろってミラノ音楽院で教鞭もとっていました。そしてふたりともホルンのための曲や、室内楽曲、協奏曲なども数多く作曲しています。アゴスティーノは生徒のために多くのエチュードも書きましたが、ナチュラルホルンのエチュードはもちろん、新しいヴァルヴホルンの可能性を模索したものもまた見られます。
「小四重奏曲」は短くシンプルな曲で、Andante un poco sostenutoの序奏に続いてAllegroの主部が現れます。各パートの調(管)の指定はありません。
「ナチュラルホルンでアンサンブルをやってみようかな」という方にも挑戦しやすい曲でしょう。
[楽譜:Robert Ostermeyer Musikedition, ROM38]
ヴィルヘルム・コプラッシュ/「3つの大二重奏曲」より第1番
Wilhelm Fürchtegott Kopprasch/Duo 1 from "3 großen Duette für 2 Waldhörner"
1.Allegro moderato 2.Adagio 3.Allegro
金管楽器奏者にとってコプラッシュというと、あの「60のエチュード」を思い浮かべる方もいると思いますが、ヴィルヘルム・フュアヒテゴット・コプラッシュ(1773-1846、1750-1832の説もあり)は、そのエチュードを書いたベルリン王立歌劇場のホルン奏者ゲオルク・コプラッシュ(1800-1850?)の父親です。ヴィルヘルムはホルン奏者であり(ファゴット奏者であった説もあり)、兄弟でやはりホルン奏者あったヨハン・ハインリヒ・ゴットホルト・コプラッシュ(1767-1837)とともに1798年秋にデッサウの宮廷楽団に加入しました。
この「3つの大二重奏曲」はヴィルヘルムの作品のなかでもっとも有名なものです。彼が兄弟で演奏するために書いたのでしょうか。第3番まである二重奏曲はそれぞれが3つの楽章から成っています。
[楽譜:Friedrich Hofmeister Musikverlag FH2023]
フィリップ・ヤコブ・リオッテ/「12の二重奏曲」より第6番、5番、10番、9番
Philipp Jakob Riotte/No.6, 5, 10, 9 from "Douze pièces pour deux cors"
No.6 Walzer No.5 Polonaise No.10 Andante No.9 Walzer
現代ではほとんど忘れられてしまった作曲家、ドイツ生まれのフィリップ・ヤコブ・リオッテ(1776-1856)はヴァイオリンとチェロを学んだのちにピアノとオルガンも学び、ドイツ国内で活動したのち1808年にウィーンへ移りました。室内楽曲を書いたりオペラやオラトリオを編曲し、1808年にはベートーヴェンも音楽監督を務めた(そして一時期住み込んでいた)「アン・デア・ヴィーン歌劇場」の副楽長となり、そこではリオッテの作品が数多く上演されました。
この「12の二重奏曲は」ウィーンの有名なホルニスト兄弟である兄のエドゥアルド・コンスタンティン、弟のヨーゼフ・ロドルフェのために書かれました。
[楽譜:Musikverlag Bruno Uetz, BU1208]
A.ライヒャ(レイシャ)/24の三重奏曲 op.82 第3集(第13〜18曲)
Anton Reicha(Antoine Reicha)/24 Trios für 3 Hörner op.82, 3ème Livraison(Nr.13-18)
13.Allegro 14.Minuetto (Allegro assai) 15.Trionus (Allegretto) 16.Mouvement de Marche
17.Lento - Allegro 18.Fugue (Allegro)
日本ではドイツ名表記のアントン・ライヒャ(1770-1836)という名が一番馴染みがあるかもしれませんが、生まれはプラハで、チェコ名ではアントニーン・レイハ Antonín Rejcha、帰化した(1829年)フランスではアントワーヌ・レイシャ Antoine Reicha となります。ライヒャは10歳頃に孤児となり、引きとられたチェロ奏者の叔父のもとで音楽の教育を受けました。1785年にはボンのケルン選帝侯マクシミリアンの宮廷楽団のフルート奏者となり、そこで同い年のベートーヴェンと出会います。のちにハンブルクやウィーンを経て1808年にパリに移り、1817年からパリ音楽院の作曲科の教授となりました。フランツ・リストやエクトル・ベルリオーズらが彼のもとで学んでいます。
「24の三重奏曲」は4冊(それぞれ6曲ずつ)に分けられる形で1815年にパリで出版されました。ライヒャはホルンのヴィルトゥオーゾでのちに音楽院の教授となるルイ=フランソワ・ドープラ(1781-1868)に勧められてこの曲を書き、また作曲するにあたりドープラからホルンの技術的な面での助言なども受けました。ライヒャはドープラの対位法・作曲法の教師であり、またライヒャの「ホルンと弦楽四重奏のための大五重奏曲 op.106」がドープラのために書かれ、本日演奏するドープラの「6つの四重奏曲」がライヒャに贈られたりと、二人の交流は多かったようです。
なお、本日はライヒャの249歳の誕生日。
[楽譜:Robert Ostermeyer Musikedition, ROM124]
ジョアキーノ・ロッシーニ(E.ルロワール編)/「狩の集合地」
Gioachino Rossini(Arr. Edomond Leloir)/
"Le rendez-vous de chasse" Concerto grosso. Fantasia en re majeur pour 4 cors (et orchestra )
ジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)は39ものオペラや数多くの歌曲、器楽曲を作曲したイタリアを代表する大作曲家です。美食家としても有名です。
この「狩の集合地」は、パリのイタリア座の音楽監督であったロッシーニが1828年の夏をパリの郊外南西のランブイエにあるシックラー男爵の別荘で過ごし、そのお礼として作曲し、男爵に献呈されたものです。ホルンアンサンブルの曲としても定番の曲ですが、原曲は4本のD管狩猟ホルンとオーケストラのために書かれています。今回の楽譜はホルン4本だけで演奏できるエドモンド・ルロワール編曲のものを使用しています。
[楽譜:Simrock]
ジョアキーノ・ロッシーニ/5つの二重奏曲
Gioachino Rossini/5 Duos pour 2 cors en Mi♭
1.Marcia 2.Menuetto 3.Adagio non troppo 4.Menuetto 5.Allegro molto
ロッシーニはホルン奏者である父親のジュゼッペ・アントニオ・ロッシーニと声楽家であったアンナ・グィダリーニ・ロッシーニのもとに生まれ、幼少期から音楽の教育を受けました。8歳でボローニャの音楽学校に入り、ヴィオラやピアノなども演奏していました。10歳の頃には父ジュゼッペからホルンの手ほどきを受け、同時に声楽や作曲法も習いにいくようになります。歌声にも定評があったようです。
ホルンのデュエットの定番としてしばしば演奏されるこの「5つの二重奏曲」は1806年頃に作曲されたとみられていますが、自筆譜や作曲の記録などのロッシーニの作曲とする根拠が現存しておらず、偽作とする説もあります。真作だとするとロッシーニが14歳ころの作曲ということになります。非常に明快な曲でナチュラルホルンアンサンブルの入門に最適です。
[楽譜:Simrock]
P.I.チャイコフスキー/4本のホルンのためのアダージョ ハ長調 TH156
Pyotr Ilyich Tchaikovsky/Adagio for 4 horns C major TH156
あのチャイコフスキーがホルンアンサンブルのための曲を書いていたのか!という声も聞こえてきそうですが、この曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)が本格的に音楽の道を進み始めたころ1863年か1864年ころ書いたおそらく習作です。4つのそれぞれのパートがG管、E♭管、E管、C-basso管と、違う管に書き分けられています。曲は22小節だけという短さで、移調の練習のために書いた可能性もありますが、ナチュラルホルンのオープンとストップの音色の差を意識しているような書き方に見えるのと、各パートとも自然倍音が基本となっていてナチュラルホルンの曲として書いた可能性も感じられます。
ちなみに曲名に続く「TH」は2002年に発行された"Tchaikovsky Handbook"による作品の整理番号。
[楽譜:IMSLP]
L.-F.ドープラ/6つの四重奏曲 op.8
Louis-François Dauprat/6 Quartuors pour cors en diffèrens tons
No.1 Allegro poco agitato No.2 Minuetto (Allegro vivace)
No.3 Introduzione (Adagio) - Andante amabile - Allegro No.4 Marcia, Allegro marcato
No.5 Marcia funebre (Adagio) No.6 Allegro scherzando
しばしば姓の読みが似ているためかハンガリーの作曲家フランツ・ドップラーFranz Doppler(1821-1883)と混同されてしまう?ルイ=フランソワ・ドープラLouis-François Dauprat(1781-1868)はパリに生まれ幼少期から音楽の教育を受けました。1795年に国立音楽学院(現在のパリ国立高等音楽・舞踊学校)に入りフィリップ・ケン Philipp Kenn(c.1757-after1808)のもとでホルンを学びました。そこでは対位法と作曲法も学びましたが、その教師がアントン・ライヒャでした。そしてこの四重奏曲は同じくop.8の「6つの三重奏曲」(第1回コンサートで取り上げた)とともにライヒャに贈られています。
ドープラ以前のホルンアンサンブルというと各パートが皆同じ管(F管、E管やE♭管が多い)を使うの曲が普通でしたが、この曲ではそれぞれのパートに違う調管を指定しています。それは、違う調管の組み合わせによって、同一の管で演奏した際の低音域の音列の不完全さを避けることができるのと、メロディーやパッセージをそれぞれの管に適した音域に割り振ることができるためです。
現代よりも上吹き(Premier cor)と下吹き(Second cor)がまだはっきりと分かれていた当時らしく(マウスピースのサイズも違っていました)、4つのパートを「第1上吹きホルン」、「第2上吹きホルン」、「第1下吹きホルン」、「第2下吹きホルン」としています。各パートが使う管は楽章でも替わり、以下のようになっています。
第1上吹き 全楽章G管
第2上吹き FーEーEーEーFーF
第1下吹き E♭/EーDーDーDーFーC-basso
第2下吹き C-bassoーC-bassoーDーC-bassoーDーC-basso
[楽譜:Birdalone Musisc, DAU08]